モノリス 土を撫でる、水を遣る、そして記憶を封じ込め、時間と日に晒す。 保科晶子の陶の仕事は、素材の変容、感情の変態として表れる。その手は土を柔らかく解きほぐし、眼に見える形であるいは密やかに、私的なあるいは集団的記憶を包み込み、われわれの前にそっと差し出す。 展覧会「アパルトマン」で作家は、20平方メートルの小さな自室を、本人の私生活と芸術家としてのアトリエを包含する繭と見立てた。この空間に、新作《モノリス》が立ちあわられる[1]。
本 来、「モノリス」とは単一の岩石の塊を指す。が、ここにある《モノリス》は、水と土と様々なものから成る。柱形の粘土の中には作家自身の私的な記憶が秘め られている-ミモザの花びら、お椀の欠片、写真、そしていろいろ。オブジェを孕んだ土塊は、2011年11月からパリでの作家生活を見守ったこの小さな部 屋の中で増殖し、空間を占有する。
思 い出の品を陶土で包み、焼くという手法は、前作《Des funérailles /儀式》[2]にも取り入れられている。オブジェを粘土で覆い隠し窯に入れるという行為を葬りのメタファーとし、思い出の消滅からの再生をテーマとした前 作とは違って、今回の品々は、荼毘に付されることはない。《モノリス》はその表面を空に晒したまま、次の住人がこの部屋に現われるその日までの数週間、そ こにただ立ち尽くす。
保科晶子は手の作家である。その手が土に触れると、土は形を成し、増殖する。 作 家の渡仏以前の作品《Goron-goron-goron》[3]は、不定形の球状の陶のインスタレーションである。山中あるいは庭先、またギャラリーの 中に、いくつも配置された白い物体は、地中から湧き出るような生命力と力強さを見せた。が、同時に、白く艶やかな釉薬が施された空洞の球形は、今にも転 がっていきそうな危うさと、親しみやすい「可愛さ」をまとう。 一 方、《モノリス》ではその密に詰まった重さ、方体という規則的な形、素のまま残された粗野な表面が、釉の仕上げも成されず、焼かれもせずただ放置されてい る。土はもうこれ以上、作家の手を寄せつけない。突き放すような直線、寡黙な輪郭を示す方形の中に、オブジェは記憶とともに抱かれ、眠りにつく。
こうした《モノリス》の立ち姿は、作家自身の過去への訣別を示す墓標を暗示し、新しい芸術的展開を唱えるものと捉えられようか。 いや、《モノリス》は、長い時間をかけて-おそらく日本で仕事を始めた頃からすでに-作家の魂の奥底に育まれてきたものではないだろうか。芸術家としての 約5年におよぶパリでの活動、異国でただ独り自己と向き合う生活が、今ここ、私たちを包み込んでいる繭のような空間の中で、作品に形を生を与えたといえよ う。
時の流れが、土塊の輪郭を侵食し、作家が生きた時間と感情の結晶となり、ミニマルな彫刻の姿をおびる。60個におよぶ《モノリス》が意志の塊として姿を現す。ここにあるいくつもの単一の柱体は、あたかも記憶を永遠に封じ込めるかのように、屹立する。 と ころが《モノリス》は、立ち尽くすうちに土がひび割れ、灰色から白へと変わり、その儚さも露にする。そのとき、土はまた作家の手に戻り、水と混じり合うこ とによってふたたび新たに不定形な粘土になるという。その時にはもう記憶は忘れ去られ、新しい生が生まれることだろう。こうして陶土は、力強いフォルムを 示しながらも、またある可能性を秘めたアンフォルムの状態へと自在に行き来する。幾度も変容を遂げる土、そこを通過する水と時間、これらに作家の手が介在 し、力強さと儚さが交互に立ち現われる。
《モノリス》は生きている。保科晶子の創造は、人の手を介した土と記憶の変容を示す。それは、自然と時間と人間との間のたゆまない駆け引きから形作られるメタモルフォーズそのものといえるだろう。
徳山由香、キュレーター/芸術研究
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[1] 保科晶子は、2008年4月より出身校女子美術大学の女子美パリ賞にて渡仏する。これを機に約1年半パリ市の運営するアーティスト用のアトリエ住居であるシテ・インターナショナル・デ・ザールに滞在。2011年9月より一年間の文化庁在外研修を受ける。このアパルトマンは、その当時の作家の住居である。 [2]《 Des funérailles / 儀式 》(2008、2010、2012) 発表:ギャラリーシテ・インターナショナル・デ・ザール、パリ(2009) [3]《 Goron-goron-goron
》(2000-2004)、(2008) |